複雑性PTSDの当事者として

  • 複雑性PTSDと共に生きてゆく2 なぜ共になのか?

    この記事では私が複雑性PTSDとの共存を選択した理由について書いていこうと思います。

    • 私の複雑性PTSDに対する認識と向き合い方

    簡単には治らない。通っているクリニックの先生とカウンセラーさんやネットの記事や動画などではそういった説明がされています。その通りだと私も思います。

    慢性的なストレスやトラウマ体験、これらが複雑性PTSDの原因でありこれらを忘れられず心がトラウマに対して無条件に反応してしまう。これは非常に厄介だと思います。

    かけ算の九九を皆さん小学生の頃に習い、ある程度覚えていると思います。2×4=でしたり3×5=であったり問題が出されるとスムーズに答えが出てきます。

    これは複雑性PTSDも同じことが言えます。トラウマに関連することがあるとトラウマに対する防衛反応(緊張・発汗・恐怖)それらがスムーズに引き起こされます。かけ算の九九をなんども反復的に学習し、身につけたように複雑性PTSDもまた慢性的・反復的に与えられたストレスやトラウマを丁寧に記憶してしまっている、そう考え私はトラウマと呼べる記憶と共に生きて行こうと決めました。

    • 私はこんな視点で考えます

    病気との共存でしたり許容をするのは誰でも苦手だと思います。

    「もしも完治すれば良い生活が送れる」その通りだと思いますがこれが大きめの落とし穴だと私は思います。

    ある男性ががステーキをレストランで食べているとします。食べ始めた時に店員さんが「サービスでアイスクリームを提供します」と言ってくれました。そうすると男性は好物のアイスクリームのことばかり考えてしまいステーキの味をしっかりと堪能できませんでした。

    どうでしょうか完治という意識が幸せのビジョンとなり、日々の生活に散らばる楽しいひと時をしっかりと受け取れているでしょうか?どれくらいで手に入るかわからない完治という名の幸せは強く意識するほど日々の楽しいひと時を絵の具で塗りつぶしているように思えます。

    • だからこそ

    なんとなくですが体験できる幸せは一度にひとつくらいだと思います。楽しめるものはしっかりと楽しみたいですね。完治という意識もすべていけないものとは思いません。しかしこだわりすぎたりしていつも心の中心に置いておくと苦しくなるので考えたいときは時間を決めるなど条件を決めることをオススメします。

    • おわりに

    この記事を書いていると「こだわらない」「どうでもいいと思いなさい」といった言葉を思い出しました。現代に生きる人々や大昔の人々も精神の疾患・病気、時代ゆえに生まれた悩みの数々を抱えながら生き抜き、名言と呼べるものの数々や大事にされる「教え」それらが色んな時代や場所で語られているのだと思いました。

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複雑性PTSDを抱えながら日々を過ごす平成11年生まれです。当事者としての体験や日々の生活をできるだけネガティブになりすぎないように書いていければと思います。